譜久山仁 の 第3診察室

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責任

 43歳の一年は、大きな変化の中にスタートを切ります。
先月、産まれた時から42年間生活し仕事をしてきた西明石の病院が西新町に移転し、
住み慣れた我が家がなくなる寂しさと新しいホームグラウンドができる喜びが入り組んだ思いで
新病院での仕事が始まりました。

父は38歳で創業した19床の譜久山外科を、45床の譜久山病院へ成長させる第2期工事を今の僕の歳で行いました。
僕は産まれて4ヶ月の時から病院の子として父が働く姿を見て育ち、父と同じ外科医としての道に進みました。
父は救急体制が不十分で医療の専門分化が進んでいなかった時代に、困っている人は助けるものだという考えのもと、
幅広い病気、ケガの患者さんを診ていました。
時代は変わり、周りに救急医療、専門医療を行う病院ができ、以前は手術でないと治らなかった病気が薬や内視鏡で治療が
できるようになり、外科医としての仕事の内容はずいぶん変わってきました。
でも、住み慣れた地域で安心して暮らせるように支える、という地域医療に対する責任は変わりません。

僕が力を入れている がんの緩和ケアは、患者さんと家族が住み慣れた場所で過ごすための支援が大いに必要とされます。
がんは、亡くなる2ヶ月程前から日常生活に支障が生じることが多く、それまで自立した生活していた人が急に支えを必要とするようになります。
そのタイミングを見逃さず、その人らしく生きることができるように支えるためには、普段からその患者さんの人となりとご家族の関わりを知る必要があります。
そのためにも、早期からの切れ目のない緩和ケアが必要なのです。

外科医として学んだ全身管理と救急処置の技術をもとに、がんの患者さんが地域で安心して過ごせるように支えていきたい。
それが、父から僕が引き継ぐ、地域に対して果たすべき責任なのだと思います。

3人の息子を持つ身となり、自分の思うようにいかない子育てからも、親のありがたさを実感するようになりました。
今、こうしてここにあるのも、全ては両親のおかげであり、親にしてもらったことを息子たちにつないでいくのが、家族に対しての責任です。

そうして、この感謝の思いを、息子たちが心から言えるように伝えるのも、父親としての責任です。

 お母さん、
43年前の今日 僕を産んでくれて、ありがとう。

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by fkymhts | 2016-12-05 22:36 | 白衣を脱いで