譜久山仁 の 第3診察室

shinsatsu.exblog.jp
ブログトップ

ついで、というわけではないのですが

遺言で死生観について、すこしお話しました。

「死」と背中合わせの「生」を生きてきた昔の日本人には、
しっかりとした死生観があったといいます。
と。


今日は、最近考えていたことがすっきりとしたので、お話します。クリックしていただけると、うれしいです。

最近読んだ本に、日本人の自然に対する考え方の成り立ちについて、こう書いてありました。

自然に寄り添い、自然と共生しながら生きるという考えが自ずと育まれた

日本人は、自然を対抗的、征服的ではなく、畏れ敬い、また心を癒すものとしてとらえ、受容的、忍従的な民族性、精神性を形成していった
(pp230-231)



日本人は、
自然を、
相対するものとしてではなく、
寄り添い、共に生きていくものとしてとらえ、
時には自然の脅威におびえ、
時には自然の美しさに心癒されてきたのでしょう。


そのような接し方の中で育まれた日本人の自然観として、次のように述べてあります。

日本人の自然観に特徴的なのは、仏教的な「無常感」を持つことだといわれる。たとえば、子どもが文字を習う時の手習い歌として、「色はにほへど散りぬるを、わが世たれぞ常ならむ、有為の奥山今日こえて、浅き夢みじ酔ひもせず(ん)」という一首がある。その大意は、「花の色は移りやがて散えていく。この世に変化しないものなどない。だから、浅い夢に酔ってなどいないで、本当の幸せを求めて今日こそゆこう」ということであろう。

子供の手習いにさえ、このような歌が採用されるのを見ても、無常感が深く日本人の心をとらえていることが推察できる。いまあるものは、この先もずっとあるのか。生あるものは、やがて死を迎える。すべては移ろいゆく。その変化し、滅びゆくものを美しいと思う感性が、日本人にはある。
移ろいゆくものに心よせる「無常感」と、
それをいとおしむ「もののあわれ」の美意識が強いのである。(pp231-232)


医療の発達により、以前でしたら失われていた人の命が救われるようになりました。

しかし、その反面、自分の意思とは関係のないところで生かされている人がいます。

医療の発達は望ましいことであり、
医師として個人の医療技術、知識の向上は、一生の課題です。

ただ、技術だけが一人歩きしてしまって良いものでしょうか。

死、というものから目を背け、
ただ、生きる、ということにだけ執着する。

どれだけ生きたか、ではなく、どう生きたか。

死が必ず訪れるという現実を直視し、
死までの生をどう充実させていくか、が大切ではないでしょうか

人は自然と寄り添って生きてきました。
その生き方を、日本人は、よく知っています。

自分の人生も、また、移ろいゆくという「無常感」をもって、
移ろいゆく生をいとおしむ「もののあわれ」を感じながら、
精一杯、生を充実させていきませんか。
[PR]
by fkymhts | 2007-08-07 23:50 | 診察室のひとりごと