人気ブログランキング | 話題のタグを見る

譜久山仁 の 第3診察室

shinsatsu.exblog.jp
ブログトップ

親のつとめ

 長男の大学受験に2泊3日でついていきました。


不安やストレスが少なく試験に臨めるように

ずいぶん前から移動や宿泊の手配をして。


直前は勉強も気になるだろうけれども

少し気分転換も必要だろうから、

試験前日にはおいしいものを食べて、

試験会場の下見をして、

ちょこっと観光もして。



そして、迎えた試験当日。


試験会場まで長男と一緒に歩いていき、

役に立つかどうか心もとないアドバイスをした後、


「何か聞きたいことない?」と尋ねると、


「地域医療って医療者と地域住民が

地域のことを話し合いながら作っていくという認識でいいの?」


という返事に、長男の成長を感じました。



試験会場まで送り届けた後も

なんとなく気持ちが落ち着きませんでしたが、


迎えに行った時の

全力を出し切れた」との長男の言葉に、


親のつとめがひとまずは果たせたと

肩の荷が下りました。



結婚するときに、両親から

親がしてくれたことは親に返さなくていい。

自分のこどもに送ってくれればいい。」

と言われました。


両親の親業 49年に対して、

僕の親業はまだ 18年。


親がしてくれた分だけこどもに送るには、

まだまだ親業の精進が必要です。



お母さん、49年前の今日、

僕を産んでくれてありがとう。


# by fkymhts | 2022-12-05 21:14 | 白衣を脱いで

ほっとする

 48回目の誕生日が終わろうとしています。

47歳の最後の日と48歳の最初の日に、2日続けてがん患者さんをご自宅で看取りました。
お二人とも多くの家族に囲まれて最期を迎えられ、ご家族が「人徳です」「気配りの人で、自分のことよりもまず人のことをしていました」と言われていたのが心に残りました。
別れはさびしいものですが、いつかは必ずくるもの。
その時を大切なご家族に囲まれて過ごせることは、とても幸せなことだと思います。

こんな言葉を聞いたことがあります。
『あなたが生まれたとき、あなたは泣いていて周りの人達は笑っていたでしょう。
だから、いつかあなたが死ぬとき、あなたが笑っていて周りの人たちが泣いている。そんな人生を送りなさい。 ー ネイティブアメリカンの教え ー 』

医師になったのが24歳。
人生のうち半分を、医師として過ごした事になりました。
医師として、院長として、まわりの人に提供していきたいのは心理的安全性です。
すごいことはできませんが、ほっとしてもらえること。
「安心して話ができる。話をするとほっとする。」と思ってもらえること。
それが緩和ケア外科医として患者さんのお役に立ち、院長として病院で働く医療者のお役に立つために、自分ができる最善のことだと思います。

ひとさまのお役に立てるように48歳の1年間も過ごしていこうと思います。

 お母さん、48年前の今日、僕を産んでくれてありがとう。

# by fkymhts | 2021-12-05 22:59

人と人とのふれあい

47回目の誕生日を迎えました。
この一年で一番大きな影響力があったのは、なんと言っても新型コロナウイルスでしょう。
これまで当たり前だったことが、1年足らずの内にガラッと変わってしまいました。
人と会って食べたり飲んだりしながら話ができない。
大勢の人がいる電車や街なかに入っていくのに抵抗がある。
どこに行くのにもマスクが手放せない。

病院での診察も変わりました。
これまでは、熱や風邪の症状を訴えて受診する患者さんが多く、通常の外来で診察をしていましたが、
今では、通常の外来と時間や場所を別にした発熱外来で診察をするようになりました。
診察は、これまではのどを見たり、胸の音を聞いたり、と、患者さんの身体をしっかりと診察していました。
「手が前に出ない」診察はダメだ、と言われていました。
今では、できるだけ熱や風邪の患者さんに触れないように、そして、検査で判断するようになりました。

一生懸命力を入れている緩和ケアでも、
患者さんの外出、外泊や、ご家族の方の面会も大きく制限され、
身体とこころのつらさに対してとても有効な「人と人とのふれあい」が減りました。

新型コロナウイルスは、感染力の強さや重症化の可能性などの怖さがありますが、
何よりも怖いのは「人と人とのふれあい」が大きく損なわれることです。
そして、新型コロナウイルスに対する恐れのために、他の人を攻撃したり、排除しようとする空気ができたりすることです。

院長として「人の和に支えられたあたたかい環境」をつくることを、何よりも大切な目標としています。
自分の力は小さく、ひとりでは病院をあたたかくすることはできません。
周りのひとを引っ張っていく力や、引き寄せる魅力は残念ながらありません。
でも、ひとの話を聞くことはできます。
自分一人ではできないからこそ、このような「人と人とのふれあい」が損なわれている時期だからこそ、
周りのひとの話を聞いて、力を借りて、一緒にあたたかい環境を作っていきたいです。

歩みはおそくても、このようなことを考えることができる心身を授けてくれた両親に感謝です。

お母さん、47年前の今日、僕を産んでくれてありがとう。

# by fkymhts | 2020-12-05 23:09

音を上げずに声を上げる

 46回目の誕生日を迎えました。
この1年間は、リーダーシップについて試行錯誤した一年でした。

 ぐいぐいと引っ張っていくような力強いリーダーシップが向いていないために院長職を受けるのを躊躇していた3年前。
上から引っ張っていくのではなく、みなさんのお役に立てるよう下から支える「サーバントリーダーシップ」というのがあるよ、とアドバイスをうけました。
細かいことまで指図しない「マイクロマネジメントをしないリーダーシップ」でがんばってみようと思い、院長職に就いて3年目。
少しずつ目指す方向に進んでいるようには思えますが、結果がついてきていません。

自分や家族が受けたい医療を提供する
働きがいのある職場をつくる

この方針を守りつつ結果を出すために、これまでとは少し姿勢を変えていきます。

マイクロマネジメントをせず自律性を尊重するセルフマネジメントを引き続き目指しますが、必ず結果を出す、という強い想いを伝えていきます。
人の和に支えられたあたたかい環境を永続させるために、目指す方向と速度がみなさんに伝わるように声をあげていきます。

 それぞれの人には役割があります。
リーダーシップについての試行錯誤は、当分の間、続くでしょう。
自分の役割を果たすために音を上げずにがんばっていきます。

 大丈夫。きっと出来る。
誰よりも長い時間、病院の中で育ち、働いてきているのだもの。

 お母さん、46年前の今日、僕を産んでくれてありがとう。

# by fkymhts | 2019-12-05 22:06

人生の観覧車

「45周年のお祝いはできそうにないけれども、50周年は盛大にしたいね。」

院長職2年目の誕生日。
課題は山積みで、5年区切りの節目を感じる余裕もなく一日一日が飛ぶように過ぎていく。
僕が産まれた4ヶ月後に、譜久山外科が創業した。
僕は今日45歳になり、来年の4月にふくやま病院も満45歳となる。

90歳までは生きていたいので、45歳はちょうど折り返し点。

人生は観覧車みたいだな
眼に映る風景は日々あまり変わらないが、いつの間にか頂点を過ぎて下りになっている
人生もいつの間にか下りになって..となりかねない

45歳は数字の上では折り返し点
でも、人生の頂点と言えるほどのことはまだまだ出来ていない

父が創り、兄から院長職を引き継いだこの病院。
「病院を存続させる仕組みを作る」と言ったら、「存続ではなくて永続です」とスタッフが愛してくれるこの病院。
自分も家族もスタッフも一緒に成長をしていきたいこの病院。

病院のスタッフみんなと、家族と過ごす日々を大切にしていこう。
そして、ふくやま病院50周年にはひとまず頂点と言える所に辿り着けるようにしたい。
「50周年までは絶対に元気でいる」と言っている、両親と一緒にお祝いができるように。

お母さん、45年前の今日、僕を産んでくれてありがとう。

# by fkymhts | 2018-12-05 23:14