当直中に、患者さんがなくなった。
悪性疾患で、まだ、高齢には達していない年齢でなくなった。
心停止後のご家族の動揺は大きく、心臓マッサージを、と希望される方が多かった。
「生き返るかもしれない。」
「また、元気になるかもしれない。」
事前に主治医から末期状態であること、容態急変の可能性が高いこと、心肺蘇生術の効果は一時的で短期間であることを説明されていた。
それでも、ご家族の心の中には、淡い期待があったに違いない。
その中で、その患者さんの母親は、
「もう、十分がんばったんだから、ゆっくり休ませてあげて」と息子の手を握って言った。
じっと、息子の手を握って。
静かだけど、まわりのご家族のうわずった声の中、みんなにとおる声で、言った。
母親も、もちろん、息子に息を吹き返してもらいたいだろう。
かなしみがほかのご家族より小さいわけではないだろう。
いや、むしろ、誰とも比べられないほど、大きなかなしみを持っているだろう。
こどもができるまでも、
「親に先立つのは、一番の親不孝だ」と言う言葉は知っていた。
でも、それは言葉だけのことだった、と、今、思う。
こどもができて、
「もし、この腕の中にいるこどもを、自分が看取ることになったら…」
と考えると、心が張り裂けそうになる。
患者さんをはさんで、母親と向かい合って死亡確認をしながら、
僕の心はそれまでに感じたことのないくらい大きいかなしみで満ち溢れていた。