譜久山仁 の 第3診察室
2022-12-05T21:22:20+09:00
fkymhts
明石市のふくやま病院( http://www.fukuyama-hp.jp )で勤務している 外科医 譜久山 仁の診療日記です。 普段の診察では患者さんに伝えきれないことを、つれづれにお話します。
Excite Blog
親のつとめ
http://shinsatsu.exblog.jp/32833353/
2022-12-05T21:14:00+09:00
2022-12-05T21:22:20+09:00
2022-12-05T21:14:58+09:00
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白衣を脱いで
不安やストレスが少なく試験に臨めるようにずいぶん前から移動や宿泊の手配をして。
直前は勉強も気になるだろうけれども少し気分転換も必要だろうから、試験前日にはおいしいものを食べて、試験会場の下見をして、ちょこっと観光もして。
そして、迎えた試験当日。
試験会場まで長男と一緒に歩いていき、役に立つかどうか心もとないアドバイスをした後、
「何か聞きたいことない?」と尋ねると、
「地域医療って医療者と地域住民が地域のことを話し合いながら作っていくという認識でいいの?」
という返事に、長男の成長を感じました。
試験会場まで送り届けた後もなんとなく気持ちが落ち着きませんでしたが、
迎えに行った時の「全力を出し切れた」との長男の言葉に、
親のつとめがひとまずは果たせたと肩の荷が下りました。
結婚するときに、両親から「親がしてくれたことは親に返さなくていい。自分のこどもに送ってくれればいい。」と言われました。
両親の親業 49年に対して、僕の親業はまだ 18年。
親がしてくれた分だけこどもに送るには、まだまだ親業の精進が必要です。
お母さん、49年前の今日、僕を産んでくれてありがとう。]]>
ほっとする
http://shinsatsu.exblog.jp/32400452/
2021-12-05T22:59:00+09:00
2021-12-05T23:01:29+09:00
2021-12-05T22:59:50+09:00
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未分類
47歳の最後の日と48歳の最初の日に、2日続けてがん患者さんをご自宅で看取りました。
お二人とも多くの家族に囲まれて最期を迎えられ、ご家族が「人徳です」「気配りの人で、自分のことよりもまず人のことをしていました」と言われていたのが心に残りました。
別れはさびしいものですが、いつかは必ずくるもの。
その時を大切なご家族に囲まれて過ごせることは、とても幸せなことだと思います。
こんな言葉を聞いたことがあります。
『あなたが生まれたとき、あなたは泣いていて周りの人達は笑っていたでしょう。
だから、いつかあなたが死ぬとき、あなたが笑っていて周りの人たちが泣いている。そんな人生を送りなさい。 ー ネイティブアメリカンの教え ー 』
医師になったのが24歳。
人生のうち半分を、医師として過ごした事になりました。
医師として、院長として、まわりの人に提供していきたいのは心理的安全性です。
すごいことはできませんが、ほっとしてもらえること。
「安心して話ができる。話をするとほっとする。」と思ってもらえること。
それが緩和ケア外科医として患者さんのお役に立ち、院長として病院で働く医療者のお役に立つために、自分ができる最善のことだと思います。
ひとさまのお役に立てるように48歳の1年間も過ごしていこうと思います。
お母さん、48年前の今日、僕を産んでくれてありがとう。
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人と人とのふれあい
http://shinsatsu.exblog.jp/31877507/
2020-12-05T23:09:00+09:00
2020-12-05T23:09:05+09:00
2020-12-05T23:09:05+09:00
fkymhts
未分類
この一年で一番大きな影響力があったのは、なんと言っても新型コロナウイルスでしょう。
これまで当たり前だったことが、1年足らずの内にガラッと変わってしまいました。
人と会って食べたり飲んだりしながら話ができない。
大勢の人がいる電車や街なかに入っていくのに抵抗がある。
どこに行くのにもマスクが手放せない。
病院での診察も変わりました。
これまでは、熱や風邪の症状を訴えて受診する患者さんが多く、通常の外来で診察をしていましたが、
今では、通常の外来と時間や場所を別にした発熱外来で診察をするようになりました。
診察は、これまではのどを見たり、胸の音を聞いたり、と、患者さんの身体をしっかりと診察していました。
「手が前に出ない」診察はダメだ、と言われていました。
今では、できるだけ熱や風邪の患者さんに触れないように、そして、検査で判断するようになりました。
一生懸命力を入れている緩和ケアでも、
患者さんの外出、外泊や、ご家族の方の面会も大きく制限され、
身体とこころのつらさに対してとても有効な「人と人とのふれあい」が減りました。
新型コロナウイルスは、感染力の強さや重症化の可能性などの怖さがありますが、
何よりも怖いのは「人と人とのふれあい」が大きく損なわれることです。
そして、新型コロナウイルスに対する恐れのために、他の人を攻撃したり、排除しようとする空気ができたりすることです。
院長として「人の和に支えられたあたたかい環境」をつくることを、何よりも大切な目標としています。
自分の力は小さく、ひとりでは病院をあたたかくすることはできません。
周りのひとを引っ張っていく力や、引き寄せる魅力は残念ながらありません。
でも、ひとの話を聞くことはできます。
自分一人ではできないからこそ、このような「人と人とのふれあい」が損なわれている時期だからこそ、
周りのひとの話を聞いて、力を借りて、一緒にあたたかい環境を作っていきたいです。
歩みはおそくても、このようなことを考えることができる心身を授けてくれた両親に感謝です。
お母さん、47年前の今日、僕を産んでくれてありがとう。
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音を上げずに声を上げる
http://shinsatsu.exblog.jp/30618459/
2019-12-05T22:06:00+09:00
2019-12-05T22:06:31+09:00
2019-12-05T22:06:31+09:00
fkymhts
未分類
ぐいぐいと引っ張っていくような力強いリーダーシップが向いていないために院長職を受けるのを躊躇していた3年前。
上から引っ張っていくのではなく、みなさんのお役に立てるよう下から支える「サーバントリーダーシップ」というのがあるよ、とアドバイスをうけました。
細かいことまで指図しない「マイクロマネジメントをしないリーダーシップ」でがんばってみようと思い、院長職に就いて3年目。
少しずつ目指す方向に進んでいるようには思えますが、結果がついてきていません。
自分や家族が受けたい医療を提供する
働きがいのある職場をつくる
この方針を守りつつ結果を出すために、これまでとは少し姿勢を変えていきます。
マイクロマネジメントをせず自律性を尊重するセルフマネジメントを引き続き目指しますが、必ず結果を出す、という強い想いを伝えていきます。
人の和に支えられたあたたかい環境を永続させるために、目指す方向と速度がみなさんに伝わるように声をあげていきます。
それぞれの人には役割があります。
リーダーシップについての試行錯誤は、当分の間、続くでしょう。
自分の役割を果たすために音を上げずにがんばっていきます。
大丈夫。きっと出来る。
誰よりも長い時間、病院の中で育ち、働いてきているのだもの。
お母さん、46年前の今日、僕を産んでくれてありがとう。
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人生の観覧車
http://shinsatsu.exblog.jp/29884794/
2018-12-05T23:14:00+09:00
2018-12-05T23:14:11+09:00
2018-12-05T23:14:11+09:00
fkymhts
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院長職2年目の誕生日。
課題は山積みで、5年区切りの節目を感じる余裕もなく一日一日が飛ぶように過ぎていく。
僕が産まれた4ヶ月後に、譜久山外科が創業した。
僕は今日45歳になり、来年の4月にふくやま病院も満45歳となる。
90歳までは生きていたいので、45歳はちょうど折り返し点。
人生は観覧車みたいだな
眼に映る風景は日々あまり変わらないが、いつの間にか頂点を過ぎて下りになっている
人生もいつの間にか下りになって..となりかねない
45歳は数字の上では折り返し点
でも、人生の頂点と言えるほどのことはまだまだ出来ていない
父が創り、兄から院長職を引き継いだこの病院。
「病院を存続させる仕組みを作る」と言ったら、「存続ではなくて永続です」とスタッフが愛してくれるこの病院。
自分も家族もスタッフも一緒に成長をしていきたいこの病院。
病院のスタッフみんなと、家族と過ごす日々を大切にしていこう。
そして、ふくやま病院50周年にはひとまず頂点と言える所に辿り着けるようにしたい。
「50周年までは絶対に元気でいる」と言っている、両親と一緒にお祝いができるように。
お母さん、45年前の今日、僕を産んでくれてありがとう。
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44歳
http://shinsatsu.exblog.jp/28482677/
2017-12-05T22:56:00+09:00
2017-12-06T10:46:00+09:00
2017-12-05T22:56:32+09:00
fkymhts
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これまでは誰かの後ろについていれば良かったのが、自然と前に立つことになる。
これまでは自分のことを考えていれば良かったのが、自然と他の人のことに関わることになる。
これまでは他の人の評価は気にしていなかったのが、自然と他の人を評価する立場になる。
院長になって、これまでと全く逆のことがたくさん起こりました。
父は、なにも無いところから一代でフクヤマ外科を、そして譜久山病院を作り上げました。
兄は、西明石の譜久山病院から 新築移転した ふくやま病院へ生まれ変わる決断と実行をしました。
二人は、もうすぐ44年になるふくやま病院の歴史を作ってきた院長としての先輩であり、心から尊敬しています。敵わないな、とも思います。
でも、自分は自分。
僕が考える院長の役割は、「健康的で明るく豊かな地域社会を築き上げる」という目的に向かってみんなで力を合わすことができるように、目標を明確にし、環境を整え、責任をとること。
院長、といっても、部下がたくさんできた、という感覚はありません。
指示する対象の部下、ではなく、協働するスタッフがたくさん居てくれる。
院長として、スタッフが医療人としての誇りと自覚をもって活躍できるようにサポートします。
医者になって20年目。
65歳まであと20年。
医者としての人生のちょうど折返し地点に来ました。
これまでは自分の成長に多くの時間をつかってきましたが、
これからはふくやま病院と医仁会の成長により多くの時間をつかっていきます。
そして、健康的で明るく豊かな地域社会を現実のものにします。
仕事を通じて、社会のお役にたてることほど幸せなことはありません。
こんな決意ができるように育ててくれた家族に感謝し、
何よりも、僕を産んでくれた母に感謝します。
おかあさん、
44年前の今日、僕を産んでくれてありがとう。
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初めての挨拶
http://shinsatsu.exblog.jp/26554435/
2017-04-03T22:25:00+09:00
2017-04-03T22:44:11+09:00
2017-04-03T22:32:19+09:00
fkymhts
未分類
今日は、院長として迎える初めての朝礼でした。年度初めであり、たくさんの新入職の方が新しい風を吹き込んでくれます。
新しい人にも、前からいる人にも、院長として、法人が目指すところをお話ししました。
少し長くなりますが、どうぞ
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おはようございます。
新しく仲間に加わったみなさん、ようこそ医仁会 ふくやま 病院へ。
みなさんをこころから歓迎します。
昇格されたみなさん、おめでとうございます。これまでしてこられたことが評価されての昇格です。これからの活躍を期待しています。
さて、僕にとっても始めての昇格です。
院長として、どのような医仁会 ふくやま病院にしたいのか を お話しします。
ぼくたちの仕事は、地域の方が安心して過ごせるように、医療・介護でお役に立つことです。
・かかりつけの患者さんの健康を守ること。
・急な病気の患者さんを受け入れて治療をしたり、当院でできない治療が必要な患者さんには適切な病院を紹介すること。
・他の病院での治療が終わった患者さんが自宅で過ごせるようにリハビリテーションなどの在宅復帰支援をすること。
これらのことは、ひとりひとりの患者さんだけでなく、診療所や急性期病院との連携を通じて地域を医療・介護で支えることにつながります。
病気になったり、歳を取ったりすると治療をしてもそれまでの生活ができなくなることがあります。
元通りの生活ができなくても、住み慣れた家で暮らせるようにしたい。もし家に帰ることができなくても、家族や親しい人たちに囲まれて過ごせるようにしたい。
そのためには、病気を治すだけでなく、地域が「帰りたい」場所であることが大切です。医療の専門分化が進み、一つの病院で健康管理から治療、看取りまでを行うことが困難になってきました。ふくやま病院は、兵庫県立がんセンター・明石市立市民病院・明石医療センター・大西脳神経外科病院などの急性期病院や、地域の診療所と連携して必要な医療を提供します。
ふくやま病院の中では、医師だけでなく看護・介護・薬・リハビリ・栄養など様々なプロフェッショナルが患者さんに関わっています。そう、私達は医療、介護で生計を立てているプロフェッショナルです。また、ボランティアの方や院内のコミュニティスペースを利用される方が地域から来られます。
ふくやま病院が病気を治すだけでなく人と人・情報・ものごとをつなぐ場所になることで、病院から退院して「帰りたい」地域づくりの役に立つことを信じています。
僕たちの法人、医仁会のキャッチフレーズは、
「『また来てね』といえる病院と『家がいちばん』といえる在宅 を目指します」
です。
部署や職種の垣根なく みんなで力をギュッと集めてこのキャッチフレーズを達成しましょう。
どうぞよろしくお願いします。
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力を入れている緩和ケアも併せて、地域のお役に立てるよう精進して参ります。
気がつかれたことがございましたら、ぜひお教えください。
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逆算 の緩和ケア
http://shinsatsu.exblog.jp/26440159/
2017-02-19T18:49:00+09:00
2017-02-20T07:12:01+09:00
2017-02-20T07:12:01+09:00
fkymhts
緩和ケア
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時間がある時には迷うのも楽しいかもしれませんが、緩和ケアを必要とする患者さんに残された時間はとても貴重なもの。
「これで良かった」という最期を迎えられるよう、限りある時間内に無事に辿り着きたいですね。
そのためには、最期をどのように過ごしたいのかを患者さんとご家族さんが思い描いて、それを実現できるように医療者、介護者が支えることが必要です。
ふくやまは、緩和ケアのかなり早い段階で、
「イヤなお話をしてもいいですか?」と前置きをして、「いいですよ」とお返事を頂けた時には、ご自宅での生活が一人でできなくなった時にはどこで過ごされたいかをたずねています。
入院は緊急で入って来られても何とかなりますが、ご自宅で過ごすための調整には時間がかかることがあります。
どのくらいの時間があるのか、ゴールまでの距離がどのくらいか、がわかると、それに間に合うように準備ができますが、ゴールが定まっていないと望まない最期になってしまうかもしれません。
イヤなお話ではありますが、逆算の緩和ケアで患者さんがより良い時間を過ごせるなら、イヤな役を務めていきます^_^
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最期は在宅 それとも 入院?
http://shinsatsu.exblog.jp/26438767/
2017-02-19T18:16:00+09:00
2017-02-19T18:16:38+09:00
2017-02-19T18:16:38+09:00
fkymhts
緩和ケア
医師が決めるのが2/3、ご家族が決めるのが1/3という話を聞きました。
割合は場所によっても、状況によっても変わると思いますが、
患者さんの意思で決められることが少ない、というのは実感しています。
在宅医療をしている先生は在宅が良いと言い、
入院医療をしている先生は入院が良いと言う。
提供する医療に自信を持つことはもちろん大切ですが、
そもそもその患者さんにとってどこで過ごすのが良いか、
と言う視点が何よりも大切だと思います。
自宅で過ごすこと、入院で過ごすことのメリット、デメリットを説明し、
どちらで過ごすことを選んでもバックアップできるように在宅医療と入院医療で連携をする。
そうすれば、患者さんの最期を患者さんの意思で決めることができるようになると思うのです。
自宅で亡くなりたいと言う希望は8割、でも、実際に亡くなっているのは1割、というデータ。
ご本人は自宅で亡くなりたいと言い、ご家族は病院が安心と言う。
このようなことは、「在宅を選んだらいざという時に入院できないのでは」、とか、
「一旦入院したら家に帰ることができないのでは」、という不安が強いことも大きな原因と思います。
在宅と入院のどちらを選んでも、状況が変わった時には変更できるように柔軟に対応して、
片道キップにならないようにする。
ふくやま病院で細々とではありますが行っていることを、これからも続けていきます。
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早期からの切れ目のない緩和ケアって?
http://shinsatsu.exblog.jp/26427957/
2017-02-15T18:37:00+09:00
2017-02-15T18:37:56+09:00
2017-02-15T18:37:56+09:00
fkymhts
診察室のひとりごと
「もう、そんなに悪いのですか?」 と言われることがあります。
たしかに、緩和ケアという言葉が使われ始めたときは、「がん治療が効かなく」なってからするケア、と言われていました。でも、それは25年以上も前のはなし。今は、早期からの緩和ケアが必要、と言われています。WHOは、1990年の時点では緩和ケアを「がん治療が効かなくなった患者に対する全人的なケア」と定義していましたが、その後、2002年の声明で、「がん治療の早期から開始すべき積極的な医療」と、がん治療の中心的存在へ位置づけを転換しています。転移・再発と診断された時点から、抗がん剤治療などと同時に開始すべき医療が緩和ケアなのです。
ふくやまが2004年に明石で緩和ケアに関わり始めたときは、抗がん治療後の緩和ケア が一般的でした。
抗がん治療後、患者さんはそれまで治療して下さった先生や病院との関係が終わって「もう治療がありません」と言われ、諦めと失意のどん底にいることが多かったのです。
抗がん治療後に緩和ケアが始まっても、短期間で亡くなられる患者さんも居られ、患者さん・ご家族さんと緩和ケアを提供する医師や看護師などの医療者との人間関係を築くのもなかなか困難でした。
そこで、抗がん治療を行う先生と相談して、抗がん治療中の段階から患者さんを支える「バックアップ」という形での緩和ケアを始めることにしました。
緩和ケアは、患者さんが がん と診断された時から生きている間ずっと、そして、亡くなられた後のご家族の悲しみまでを支えるケアです。そのためには、緩和ケアを提供する医療スタッフがチームとなって、患者さんやご家族と一緒に歩んでいくことが大切です。
抗がん治療は がん を取り除いたり、小さくしたりすることを目標としますが、緩和ケアは 患者さんやご家族がより良い時間を過ごすことを目標とします。そのため、緩和ケアは、通院、入院、そしてご自宅(在宅医療)を通じて、切れ目なく提供される必要があります。
抗がん治療の段階から、そして、できることならば抗がん治療を行う病院と連携して、がん と診断されたその瞬間から、切れ目のない緩和ケアを明石で提供していきたいです。
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責任
http://shinsatsu.exblog.jp/26203104/
2016-12-05T22:36:00+09:00
2016-12-05T22:36:42+09:00
2016-12-05T06:42:16+09:00
fkymhts
白衣を脱いで
先月、産まれた時から42年間生活し仕事をしてきた西明石の病院が西新町に移転し、住み慣れた我が家がなくなる寂しさと新しいホームグラウンドができる喜びが入り組んだ思いで
新病院での仕事が始まりました。
父は38歳で創業した19床の譜久山外科を、45床の譜久山病院へ成長させる第2期工事を今の僕の歳で行いました。僕は産まれて4ヶ月の時から病院の子として父が働く姿を見て育ち、父と同じ外科医としての道に進みました。
父は救急体制が不十分で医療の専門分化が進んでいなかった時代に、困っている人は助けるものだという考えのもと、
幅広い病気、ケガの患者さんを診ていました。
時代は変わり、周りに救急医療、専門医療を行う病院ができ、以前は手術でないと治らなかった病気が薬や内視鏡で治療が
できるようになり、外科医としての仕事の内容はずいぶん変わってきました。
でも、住み慣れた地域で安心して暮らせるように支える、という地域医療に対する責任は変わりません。
僕が力を入れている がんの緩和ケアは、患者さんと家族が住み慣れた場所で過ごすための支援が大いに必要とされます。
がんは、亡くなる2ヶ月程前から日常生活に支障が生じることが多く、それまで自立した生活していた人が急に支えを必要とするようになります。
そのタイミングを見逃さず、その人らしく生きることができるように支えるためには、普段からその患者さんの人となりとご家族の関わりを知る必要があります。
そのためにも、早期からの切れ目のない緩和ケアが必要なのです。
外科医として学んだ全身管理と救急処置の技術をもとに、がんの患者さんが地域で安心して過ごせるように支えていきたい。
それが、父から僕が引き継ぐ、地域に対して果たすべき責任なのだと思います。
3人の息子を持つ身となり、自分の思うようにいかない子育てからも、親のありがたさを実感するようになりました。
今、こうしてここにあるのも、全ては両親のおかげであり、親にしてもらったことを息子たちにつないでいくのが、家族に対しての責任です。
そうして、この感謝の思いを、息子たちが心から言えるように伝えるのも、父親としての責任です。
お母さん、
43年前の今日 僕を産んでくれて、ありがとう。
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「魔法」
http://shinsatsu.exblog.jp/25242678/
2016-03-31T16:39:00+09:00
2016-01-30T17:19:43+09:00
2016-01-30T17:19:43+09:00
fkymhts
病気のこばなし
痛かったのが、こんなに楽になるなんて。」
1週間前に、訪問看護師さんから
「お腹の痛みがとても強いと言われています。」と新幹線の中で電話を受け、
「1時間で病院に戻りますから、来てもらってください。」と緊急入院となった患者さん。
がんの終末期で、非常に厳しい状態。
お腹はどこを押さえても痛む。
CTでは腸に穴が空いて漏れたと考えられる空気が写っていました。
おそらく、下部消化管穿孔。
元気な人ならば緊急手術で救命できますが、手術ができない場合は数日以内に亡くなることが多い、大変重篤な状態です。
それまでは、
「できるだけ家で過ごしたいので、入院はしたくない。」
と、しんどい体をおしての外来治療と訪問看護で診ていました。
段々と状態が悪くなっていくのを、ご本人もご家族も覚悟はされていましたが、
あまりにも突然の急変。
消化管穿孔であることを伝えて、
ご本人には、「命に関わります。」
ご家族には、「今日中に亡くなるかもしれない覚悟が必要です。」
と説明しました。
何はともあれ、まずは痛みを取らないと。
患者さんは苦痛で眉根をひそめ、呼吸は早く粗い。
モルヒネの注射を開始し、まずは早送りをしても痛みが取れない。
もう1回早送り、「まだ痛い。」
もう2回、「まだ痛い。」
量を増やして、早送り...
と続けて、ようやく呼吸が穏やかになってきました。
「痛みが落ち着いたようなので、これで様子を見ましょう。」
とご本人に声をかけ、
廊下に出てこられたご家族には
「痛みはモルヒネでコントロールして、腹膜炎は抗生剤での治療をしますが、非常に厳しい状態です。」とご説明して、夜中に呼ばれることも覚悟していました。
翌日の日曜日、翌々日の月曜日と、日を重ねるごとに症状が楽になり、
火曜日。
心理カウンセラーがお部屋に伺った時に
「魔法が起こったの」
それから、4日間。
「魔法」で痛みが取れた身体で周りの方にたくさんの感謝を伝えられました。
急変に動揺されていたご家族でしたが、病室に寝泊まりして同じ時間を過ごされることで現実を徐々に受け入れられました。
起きて居られる時間が段々と短くなり、言葉数が減り、話しかけに対してうなずかれるだけになり...
ご家族が穏やかに見守られる中、息を引き取られました。
ご入院されたちょうど1週間後でした。
「魔法」
どんな苦しい状態でも、そう言って感謝できるあなたの心が、
みんなに魔法を見せてくれたのでしょう。
今の僕は魔法が解けて虚ろな状態ですが、
ひと休みして、あなたが見せてくれた魔法をこころに、
がんで困っておられる方の支えになれるようにがんばりますね。]]>
患者さんに役立ち、医療者にやりがいがある 緩和ケア
http://shinsatsu.exblog.jp/25440664/
2016-03-23T16:17:45+09:00
2016-03-23T16:21:36+09:00
2016-03-23T16:19:54+09:00
fkymhts
未分類
医療者が患者さんを管理しようと思うと苦しい。
患者さんが病気の経過をリセットできると考えていると、受け容れができない。
医療者、患者さんの双方にとって幸せを目指すためには、
医療者が経験や知識から患者さんの経過を予測し、
患者さんの人となりを理解した心でそれを説明し、
患者さんの受け止めを共感的立場で傾聴すること。
そして、患者さんが望む生き方をチームで支えること。
なんとなく、こんなことが見えてきました。]]>
温熱療法の院内勉強会
http://shinsatsu.exblog.jp/25149398/
2016-01-06T00:52:09+09:00
2016-01-06T00:51:49+09:00
2016-01-06T00:51:49+09:00
fkymhts
診察室のひとりごと
まだお話を聞けていない法人スタッフや疑問点を持っているスタッフもいます。
16日の公開勉強会では、たくさんの方に温熱療法導入を歓迎してもらえるよう、しっかりと(ホンネで)お話をしていただきます。]]>
日本ハイパーサーミア学会参加
http://shinsatsu.exblog.jp/25145071/
2016-01-04T23:19:44+09:00
2016-01-04T23:19:28+09:00
2016-01-04T23:19:28+09:00
fkymhts
診察室のひとりごと
先日京都でお話を伺った、古倉先生の教育講演をはじめ、長野で温熱療法に熱心に取り組んでおられる西和田林クリニックのご発表を聴いてきました。
西和田林クリニックはホームページでも温熱療法についてわかりやすく説明されており、患者さんアンケートなどが見れる新聞・雑誌掲載情報も治療を受けているがんの種類や治療効果、副作用の参考になります。
学会で勉強することも大切ですね。]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/