40歳で青年を卒業してはや一年が経ち、アラフォーも半ばを過ぎました。
看取る患者さんが、祖父母の世代から両親の世代となり、自分と一回りも変わらない患者さんとの別れに戸惑うこともあります。
その患者さんたちと共に過ごしていると、「いつかできるようになるだろう」と準備する時間が残されているわけではなく、できるできないは別として「目の前の問題に今取り組まなければならない」ことをひしひしと感じます。
「世代」をあらわすgenerationという単語には、約30年という意味もあります。
父がゼロから築いた病院を45床から3倍の132床に拡大することを決めたのが1986年。
母は「お父さんはたくさんの職員を管理することができないから、病院を大きくするのは反対。
あなたたちが医者になるのなら病院を大きくすればいいけれども、そうでなければ一代で病院を閉じたらいい。」と、
小学6年の僕と高校1年の兄を前に「選ぶのはあなたたち。」と言い放ちました。
誰よりも父を尊敬の的としていて、「大きいからこそできる医療がある。」という父の夢を知っていた兄弟としては、
「お父さんがやりたいことだったら、そうしよう。」と迷うべくもなかった記憶があります。
あれから28年。
医者として尊敬をしていた父の仕事量にははるかに及びませんが、父が身体を削って支えてきたこの地域を思う気持ちはしっかり引き継いでいます。
一世代が経って、病院も新たな世代を迎える時となりました。来年の3月には、新たな病院の礎が築かれます。
こどもたちは、何かしら大きなことに自分たちも関わらざるを得ないらしい、という漠然とした感覚は持っているようです。
小学校4年生の長男は「外科は当直があるから内科にしようかな。」と、当直の代わりに家を守ってくれている妻が内科だから「内科=当直が無い」という誤解はあるようですが、医師という職業を意識しています。
親にして貰ったことは、こどもに返す。
自分がして貰っただけのことができているかどうかは別として、親として今できることを精一杯する、
それを積み重ねていくだけで、それ以上でも、それ以下でもないのだと思います。
そして、高校2年生の時に教えて貰った誕生日の感謝の習慣をこどもたちが自然と引き継いでくれるような子育てになったらとても嬉しいです。
「おかあさん、41年前の今日、僕を産んでくれてありがとう。」
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